どうもオトクサです。
Xやblogでは
多くの中学受験情報が発信されています。
多くの保護者の方は、
日々の不安や辛さを吐き出したり
共感やアドバイスを求めたり
中学受験を乗り越える
その手段のひとつとして
Xやblogを活用し、発信します。
あとでは笑い話になるような苦しさや
振り返ればどうでもいい些細な喜び
中学受験の当事者がその時でしか
見えない、感じないことが
文字として残されていくのでしょう
なぜ、こんなことを書いたかというと
受験伴奏中と受験後では、見えている世界が全く違う。勉強法や親子の取り組みについて当時の感情を語っても、結果に結びつけた逆算的な記憶にすり替わる。
こんなことを聞いたからです。
N=1で語るな!
みたいな批判はよく聞くけど
子供が難関中合格したからって
安全な場所からXやblogで語り始めるな!
みたいな声もあるようです
参考にする人も多くいるので
合格してから開設して、
その経験談を発信してもいいやん
と思いますけどね。
私も長男の時は色々参考にしてましたし
一方で、確かにな。と思ったのは
”見えている世界が全く違う” という部分
私も本を書いた際に思いましたが
結果がわかっているので
勉強への取り組みや親子の関係を
どうしても
結果から逆算して、語ってしまう。
全てのことが良かったことに繋げてしまう。
たまたまうまく行っただけなのに。
合格可能性20%のいまの気持ち
受験後に振り返って、
あの時の合格可能性20%があったから
と思う気持ち
全然違いますよね??
あの時の気持ちで書いた文章ではなく
後になって振り返った文章になると
なんとなく、心に響かないのかもしれない
苦しみながら
受験に伴走している今、
その辛さや喜びを
思うがままに書き連ねる
その時の気持ちを大切にしながら、
私自身も受験、受験ブログを
楽しもうと思ったというお話でした。
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